公文和子のwiki風プロフィール!夫は現地の人?子供はいる?

公文和子さんは、ケニアで障がい児とその家族を支援する施設「シロアムの園」を運営する小児科医です。

医師としてのキャリアを積みながら、多くの国際支援活動にも関わっている人物です。

「情熱大陸」や「プロフェッショナル仕事の流儀」などのドキュメンタリーでも取り上げられていることから、その活動に心打たれる人が多いですよね。

 

この記事では、公文和子さんの学歴経歴などwiki風プロフィールや、子供など家族についてをまとめました。

また、歌手のさだまさし さんともケニアを通じた関係があるようなので、それも調査しました。

 

ぜひ最後までご覧ください!
目次

公文和子のwiki風プロフィール!

公文和子さんのプロフィールをまとめました。

日本で小児科医として経験を積まれ、そして活動の場をアフリカの広い大地に移され今に至ります。

それまでの経緯を追っていきましょう。

 

知るほどにその熱意に心打たれます。

 

名前 公文 和子(くもん かずこ)
生年月日 1968年生まれ
出身地 和歌山県
職業 小児科医
活動拠点 ケニア
主な活動 「シロアムの園」運営、障がい児療育

 

クリスチャンの家庭に生まれた公文和子さんは、小さい頃から教会やキリスト教系の幼稚園に通っていました。

聖書の話も自然と親しまれてきたようです。

 

父親は大蔵省の官僚をされていたようで、和歌山生まれですが、転勤で東京に来たという経緯があります。

 

 

学歴

公文和子さんの出身高校と大学は以下です。

  • 高校:東京学芸大学附属高等学校
  • 大学:北海道大学医学部

 

北海道大学の医学部へ進学し、医師としての基礎を学びました。

と同時に、医学生時代に発展途上国で医療支援をし、帰国後に専攻を小児科に定めたそうです。

 

経歴

医学部卒業後、公文和子さんは日本国内で小児科医としての経験を積みました。

室蘭や千歳などの病院に勤務されていたようです。

その後、さらなる専門知識を求めイギリスに留学されています。

 

時系列で見ていきましょう。

 

1994年 小児科医としてのキャリアをスタート
2000年 イギリス・リバプールの熱帯医学校で熱帯小児医学を学ぶ
2001年 西アフリカのシエラレオネの難民キャンプで医療活動に従事
2002年 ケニアでJICA(国際協力機構)のエイズ専門家として活動開始
2015年 「シロアムの園」を設立

 

発展途上国の医療問題に向き合ってきた経験があります。

 

医師を目指した理由は?

公文和子さんが医師を目指した理由には、小さい頃の経験などが大きく影響しているようです。

  • 病気の子供を助けたいと子供の頃から思っていた
  • クリスチャンとしての信仰心から「人を救う仕事」に強い関心を持っていた

 

クリスチャンとして、教会でのお話や聖書が身近にある日常だったようです。

小学校の時に教会で聞いた話が、強いインパクトを持って進路に影響を及ぼされたそうですよ。

「人のために命を捨てるとは、人のために生きることでもある。誰かのために生きる人生を送ってみたい」と思った公文さんは、医師を目指して医大に進学した。

引用元:クリスチャン新聞

 

医学生時代に訪れたバングラディッシュで、子どもたちの目の輝きに魅了されたという忘れられない体験があったようです。

支援するというより、この子どもたちと共に生きていきたい、と願うようになったとのこと。

 

北海道大学医学部を卒業し、医療支援に関わる中で、その「使命感」のようなものはより強くなっていったそうです。

 

立派な志を持ち続けていたのですね。

 

シロアムの園を設立した理由や活動内容は?

シロアムの園を設立した大きな理由は、ケニアでは障がい児に対する支援が不足していたからです。

社会保障や福祉が発達していない発展途上国では、障がいを持つ子供や家庭が社会から孤立してしまうケースが多いと言う現実があります。

 

シロアムの園は、通所型の施設です。

活動の内容は主に以下となります。

  • 障がい児への医療支援
  • リハビリ
  • 教育支援
  • 家族向けサポートプログラム
  • 地域社会への啓発活動

 

医師、医学療法士、教員、保育士、ソーシャルワーカーなどのスタッフたちで障がい児たちやその家庭をサポートしています。

なんと、ケニア政府からの資金援助はないそうです。

日本からの寄付金などで運営しています。

後述しますが、さだまさしさんが公文和子さんと出会ったことにより設立された「風に立つライオン基金」が有名です。

 

格差や差別、日本とは違う状況とその日常の中で、「希望」と慕われる公文和子さん。

心や体を奮い立たせながら、過酷な環境の中で「心を込めて寄り添う」活動をされる日々だと思います。

子どもたちが私にすごく寄り掛かってくることもあるし、私が子どもたちに寄り掛かることもある。同じように「寄り掛かり合って生きている」という感覚なんです。
「伴走」をしてるというか、一緒に走っている気持ちです。

引用元:北海道新聞

 

公文和子さんに支えられ救われたたくさんの人たちがいて、一方で、公文和子さんもまたその人たちに支えられ救われてきたのかもしれません。

 

「シロアムの園」の名前の由来

新約聖書に登場する「シロアムの池」に由来しています。

この池は、イエス・キリストが目が見えない人たちを癒した場所として知られています。

 

共に生きる「共生社会」の実現のために奮闘されているそうです。

公文和子の夫は現地の人?

公文和子さんの夫に関しての情報は、ご自身で特に言われていないので不明です。

2007年に現地男性との間に娘が誕生、と過去のインタビュー記事に記載されていたことがありますが(現在は記事が無いようです)夫なのかは不明です。

 

ただ、長年にわたり公文和子さんはケニアで活動をされているので、現地男性というのは確かなのかもしれません。

 

結婚している?

夫に関してが確かな情報がないので、結婚されているかも不明です。

もし結婚しているならば、公文和子さんの活動にとても理解がある人なのではないでしょうか。

現地で出会い、結婚されている可能性は高いかもしれませんね。

公文和子に子供はいる?

公文和子さんには、娘さんが1人います。

  • 名前:愛(まな)
  • 生年:2007年
  • 年齢:17歳〜18歳(2025年時点)

 

さだまさしさんのSNS で、公文和子さんとツーショットの写真を投稿されています。

そこで「お嬢さんとシロアムの園のスタッフ」とコメントされています。

 

公文和子さんの娘の愛さんは、公文さんの活動を支える存在として成長されているようですよ。

公文和子とさだまさしの関係は?

公文和子さんの活動は、歌手のさだまさしさんにも影響を与えています。

きっかけは「風に立つライオン基金」です。

 

「風に立つライオン」というのは、さだまさしさんの楽曲です。

アフリカで医療活動を行う医師をモデルにした曲です。

そのモデルは、柴田紘一郎さんです。

風に立つライオンは、大沢たかおさん主演で映画化にもなりました。

 

その映画のロケに同行されたさだまさしさんは、公文和子さんと出会います。

そこで公文和子さんの活動と理念に共感したそうです。

そういった経緯があり、公益財団法人「風に立つライオン基金」が2015年8月10日に創設されました。

現地で献身的に活動する日本人女性医師との邂逅などがきっかけとなり、「途上国や被災地で頑張る『偉大な志=風に立つライオン』を応援したい」と法人設立を決意することとなりました。

引用元:公益財団法人「風に立つライオン基金」公式サイト

 

アフリカ医療支援の重要性を訴えるため、そして公文和子さんのように現地で支援活動を行う人を応援するため設立に至ったそうですよ。

 

まとめ

この記事では、公文和子さんの学歴経歴などwiki風プロフィールや、子供など家族についてをまとめました。

また、さだまさしさんともケニアを通じた関係があるようなので、それも調査しました。

  • 和歌山県出身
  • 日本で医師として経験を積んだ後、ケニアで活動を開始し現在に至る
  • 夫と結婚関係があるかはわからない
  • 一人娘がいる
  • さだまさしさんの「風に立つライオン基金」設立のきっかけの人物

 

過酷な環境下でも、その強い思いを持ち続け活動されている公文和子さん。

人生をかけて障がい児療育をされている公文和子さんに、心から敬意を表します。

 

公文和子さんの活動は、現地だけではなく、多くの人々に影響を与え続けるでしょう。

お身体やご家族をどうか大切に、これからのご活躍を応援しています。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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